高校時代に白い肌が嫌で始めたサーフィン。最初は何人かのグループでやっていたサーフィンもそこから徐々に友達がやめて1人になり、acaciaを真剣にやり始めるまで海には行っていた。その間にスケボーもハマって2000年代のSupremeは着まくってスケボーブランドとして板も使ってた。
当時はスケーターブランドとしてSupの板やウィールを使う人は珍しかったが若き日の僕は赤にKawsのボックスロゴのデザインでサイズが7 1/4の板を使っていた。その板でサーフィン終わりに滑りに行って帰りに当時乗っていたダッジをトンネル内で居眠りしてタイヤを擦ったりした。逆車線に侵入しなかったの不幸中の幸いof幸い。
そして新卒で入社した前職では右も左も分からないハイブランドを覚え、ありがたい事に海外出張まで連れて行ってもらった。そこでバレンシアガも見たしマルジェラのアトリエにも連れて行ってもらった。(歳を取れば取るほど感謝しかないです)
今思えば入社数年でそんなこと経験してるバイヤー他にいなかったと思う。
そしてどこの展示会場に行っても最年少だった僕。
個人的によくあったのがドメスのブランドの展示会で同い年のような若く社長や店長に連れられてきたスタッフを見て「同い年くらいかな?」と思って背筋が伸びてた自分のがいたのだが半年、1年と経つとパッタリと見なくなる。
・・・辞めちゃったんだな
そして会場でちょっと先輩気分になっていた僕はまた最年少に。
常に最年少でもちろん社長の付き添いだから下に見られるのは当たり前だが変に尖ってた私は対等に見られないことに嫌気がさしていた。
そしてそこから14年ほど経った今、どこにも最年少で常にホープとして多くのことを経験したのは誇れることだと思っている。
前職の面接時にKris Van AsscheのベロクロにSupremeのデニム、No Targetで買ったrehacerのニットで行き一度は「ウチにハマんなそう」と言い断られたこと、、、ですよね。
*2度面接してくれて入社しました
そんな人間を8年雇い経験を積ませてくれたのは奇跡であり間違いなく今を形成する大きな部分を担ってると思う。
そしてそんなサーフィンもスケボーもブリットロックもジャズもハードロックもSupremeもマルジェラもCCPも大好きなのはどんな場所にも最年少で乗り込んで行ったからではないだろうか。
誰もやらない事を表現したいし、その裏付けになる経験もある。仮にそれが孤独だったとしても。
誰かの後は追わない、ずっと最年少だから。
俺は俺を信じてる。