最近よく思うことがあって、それは身に起こる全てのことに言えるのだが例えば食事。

食べ物も酒も好きな私は最近気付いたことがある。自分の中で美味しさの限界がある事に。

それはもちろん食だけではないのだが、特に食に関してはよく思う。

良いものを食べようとすればするほど味以外の要素が多くなる。結局は限定的なモノであればある程優越感に浸れるからである。

そう、いかに気持ち良くなれるかが重要なのだ。

故にその希少価値を省くとこのご時世ある程度どの食事も美味い。

そして重要なのは誰といてどんな時間を過ごすかになる。「仕事の話ばかりで酒が不味かった」なんてよく言うが逆に言えば楽しい会話や友人がいるだけで最高の調味料になっていると思う。

もちろん服にも言える事で誰にも買えないモノを持ってるのが気持ち良いと思うことは至極当然である。

ただそこに服の本質である私生活を彩るようなシャレた要素があるかは全くの別で、前述した限定的な事象が多く絡んでいると思う。

つまり言いたいのはacaciaに来て買った服はファッションとしてオシャレを楽しめるのはもちろん、脳裏に刻まれるような服であって欲しいと言うこと。

ギターソロでさえ必要ないとされるこの時代に足を運び袖を通しお金を払う。

限定感はなくとも気持ち良く買い物が出来る、そんな店でありたいと思う。

最近は40代〜60代のお客さんが連日来てくれて「ニルヴァーナは生で見ましたよ」なんて話をされるから圧倒されっぱなしです。(ほんとおじさん過多)

もちろんピチピチの若いお客さんも大歓迎です。

一緒にコーヒー、お酒、カラオケ、お待ちしてます。

これは誕生日に作ってもらったビーフシチュー。何もなくともパキるくらい旨かった。

情報が手に入りやすい時代だからこそ他人の評価ではなく自分の評価・判断基準で生きていきたい。

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